3月11日午後2時46分、私は職場で仕事中だった。

ゆーらゆーらと大きな横揺れが3分ほど続き、揺れがおさまらないうちに
電気がすべて消えた。

青森県弘前市、商店街の一角。みんな怯えた顔で建物の外に出ていた。

携帯電話がメールを受信し、宮城で震度7との情報あり。

電力の復旧の見通しがたっていないとのことで職場での作業は中止された。


真っ暗な道路を通り、真っ暗な家に帰った。
母は何本ものろうそくの明かりと、灯油ストーブを炊いていてくれた。
夕食は惣菜やの肉じゃがとハンバーグ、白米。
ガスと水道は問題なく使えた。


ラジオでニュースを初めて耳にすると大変なことになっていた。
地震津波、そして福島の原発


余震が怖くて眠れなかった。

ガスの火でご飯を炊いて、通電していない冷蔵庫の食品を早く加熱調理しなくてはと
でっかい卵焼きを焼いたりし、朝食を作った。


ペットがいる我が家では、もし避難しなければならない時がきたら、、、
と考えて缶詰、かりかり、水、それぞれを入れる容器をリュックサックに詰め
自分の下着、ラジオ、乾電池、懐中電灯、携帯、消毒液なども詰めておいた。


電気は、12日午後には復旧し、その後携帯も家の電話も50%くらい通じるようになり
ひと安心。

テレビニュースをみたら、犠牲者の数と津波にのまれた街の風景、、
あまりの被害の大きさに驚いた。信じられない。

そして福島原発の非常に厳しい状況というのが、いまいちばん心配だ。

これは、見ておいたほうがいいと思う。







広瀬さんが間違ってて、なんとかこの状況が回復できるよう祈っている。